雪への反応
本日、ようやく自分の目で「雪」を確認した。
Twitterで「降ってる」ツイートを見かけるも、
外に出ると全然降ってない。
そんな降ってる詐欺の被害を受けながら…
本日を迎えたわけでございます。
今のところ、雪は降っていないのだが、
寝て起きてたら…積もってしまっていないか、
ちょっと心配。
自分の今書いた、「反応」がちょっと気になる。
雪のニュースを見ても、それぞれ反応が異なるのだ。
大人は除雪などの作業があるので、憂鬱そう。
一方で子ども達は、無邪気に雪と戯れている。
とても楽しく、友達と遊んでいた。
これが大人と子どもの差なんだな、ふと思う。
前にも書いた気がするが、初雪を見ると、
最近はいつも感じることだ。
子どものように、無邪気になりたいのかもしれない。
エレベーター・コミュニケーション
最近のエレベーターは、大変進化している。
扉の間に立つと、センサーが反応して、
閉まらないようになっている。
それだけじゃない。
目的の階に到着して、
扉が閉じると…自動的に1階へと降りるのだ。
これは、便利なようで不便な気もする。
例えば、エレベーターに乗る直前で
忘れ物に気づくと…また呼び戻さないといけない。
意外とあったりするから、便利になるのも考えものだな。
時々、そう思ってしまう。
忘れ物の時だけじゃない。
例えば、違う階から人が乗ってくるとする。
降りる時に先に降りてもらう…
こんなこともあまり意味のないものになってしまう。
だって、出るまでに扉に挟まれることはまずないから。
勝手に「エレベーター・コミュニケーション」と命名してみる。
些細なことなのである。
先に出るのを譲ったり、何階が目的地かを乗ってきた人に聞いたり。
そんなコミュニケーションが、人間関係を発展させると思うのだ。
そこから日常会話なども生まれてくるかもしれない。
けれども、それは過去の遺物となってしまったのか。
便利過ぎるのはやはり考えものだなぁ…と、残念に思う。
(その前に、コロナ禍はエレベーター内の会話はNG)
そんなことを思いながらも、
今日もエレベーターを利用するのであった。
「…あっ、何階ですか?」